- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

中国における母系→父系転換を追求するにあたり

こんばんは、etoです。
先に『中国文明のなんで?』 [1]において、古代の母系社会と、父系への転換について挙げました。
このテーマを追求するにあたり、人類の婚姻史を専門に追求する姉妹サイト:「知られざる人類婚姻史と共同体社会 [2]より、中国関連の投稿を調べてみましたので、参考として紹介します。
まずは、母系社会の様子について
自由恋愛の国アメリカと、母系社会のモソ人 [3] 
>古来日本でも行われていた通 い婚を続け、子供たちは生まれた家に残り、女性は家を切り盛りし、男性は自分の姉妹の子供を「家の子」として育てます。中国政府の圧力にも屈せず続いてきた母系社会と通い婚。血の繋がった家族が互いに協力しあい、争いや嫉妬を生まない、静かで豊かな社会がそこにはあります。
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 1 [4] 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 2 [5]
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 3 [6] 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 4 [7] 
「摩梭人走婚」(モソ人の妻問い婚) 5 [8] 
・雲南省ハニ族の「稲魂信仰」 [9]
>現在のハニ族は父系社会ですが、信仰での女性の役割の大きさは、かつての母系社会の痕跡でしょうか。いずれにしても、ハニ族は自然に対する同化・感謝の気持ちを強くもっているは確かなようです。
・モンゴル遊牧民は母系を強く残した両系!? [10]
>モンゴルでも国家成立以前は、『遊牧ながらも母系の色彩が強かった』
中国のナシ族はアチェ婚(妻問婚)を最近まで維持していた。 [11]
>しかし、その婚姻様式も強制的な漢化の圧力が高くなるに従って、その様相の変化や若者の戸惑いが表面化していく事に・・・。それは意外にも「自殺」という選択をしている事に私は驚いてしまいました。
モソ族、ナシ族、ハニ族などの投稿から、母系社会の様子が窺い知れます。
いち早く父系に転換したモンゴルにも母系が残っていたんですね。
さて、次はその父系転換です。
続きの前に、
多くの人に見てもらえるよう、クリック願います。
Blog Ranking [12] にほんブログ村 歴史ブログへ [13]


母系→父系への転換
中国古代遺跡で発掘された「青い目の女神像」 [14]
>中央アジアの遊牧部族は、氏族集団の連合体のかたちをとっており、各氏族がバラバラにならないため、父系制の婚姻規範は厳格に存在していた。
にも拘わらず、モンゴロイド人種とコーカソイド人種の混血が発生していたことは、メソポタミア発の掠奪闘争が玉突き的に中央アジアの遊牧部族へ波及し、略奪闘争→掠奪婚の結果と言えるのではないだろうか。
中国最古の城塞都市はどこか? [15] 
>遊牧民は黄河流域の北西・モンゴル高原に居るわけで、まずは黄河流域に攻め入るのが自然と考えられる。また、その後の歴史も常に、遊牧民(北方モンゴロイド)→黄河の畑作牧畜民(漢民族=北方系)→長江の稲作漁労民(南方モンゴロイド)の掠奪・支配というように、玉突き的に広がっていったことから、中国最古の城塞都市は黄河流域と考えられる。
>黄河流域の西山遺跡=城塞都市は、父系制へ転換したモンゴル遊牧民の侵略が、5500~5000年前頃に繰り返された形跡ではないだろうか。黄帝伝説の時代(5000~4000年前)は実在したと考えられる。そして侵略は次第に長江流域へと南下していく。
北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族1 [16] 
>苗族の出自は黄河・淮河流域とされており、どこかで父系制に転換している。恐らく、黄帝の頃(5000年前頃)を皮切りとする遊牧部族の掠奪闘争に巻き込まれて、逃げ落ちる過程で母系から父系制へ転換したと考えられます。
北方の苗(ミャオ)族と南方の倭族2 [17] 
>長江流域に逃れた苗族は、先住民である倭族を蹴散らして、掠奪闘争は玉突き的に広がっていく。このように国を建てた苗族も再び、同じ北方系の漢民族に攻められ、辺境へと追いやられていく。
そして日本に辿り着いた弥生人は苗族ではなく倭族とのこと。
6000年前;黄河中流域「仰韶文化」以前4千年の空白? [18] 
>「仰韶文化(6800~4500年前)の間に母系から父系に転換したらしい」というところまではわかりましたが、生産様式の変遷や民族的な系譜は殆どわかっていないようです。(るいネット『仰韶文化とその周辺の黄河文明の補足』 [19]参照)
以上、殆ど紹介になってしまいましたが(汗;)、
メソピタミア発掠奪闘争→中央アジア→北方遊牧民→南下して黄河流域へ→さらに南下して長江流域へと、掠奪の玉突きとともに、婚姻制も父系へと転換する様が見てと取れます。
しかし、まだ分からないところも多いです。
中国文明ファンとしては、人類婚姻史ブログ [2]を参考にしながら、その隙間を埋めるべく頑張っていきましょう。

[20] [21] [22]