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東北地方に縄文遺跡が多いのはなんで?

こんばんは bunchanです。
カッピカピさんがいろんなテーマをひろってくれましたが、その中で、新テーマ④  東北地方に遺跡が多いのはなんで? [1]
を考えてみたいと思います。
まず、縄文時代の遺跡が多かったのは・・・
ウィキペディア [2]で縄文遺跡一覧で遺跡数を数えてみました。 
北海道 ・・・6
東北地方・・・35
関東地方・・・37
中部地方・・・20
北陸地方・・・10
近畿地方・・・16
中国地方・・・11
四国地方・・・9
九州・沖縄地方・・・21
けっこう中部や関東も多い・・・遺跡数でいくと、中部・関東・東北あたりが多いようです。
人口のほうはどうなっているかというと・・・
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画像は授業で使えるQUIZ日本史 [3]さんよりお借りしました。
日本列島の中部より東や北のほうが遺跡数、人口密度が高いですね~!
なぜなんでしょう
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授業で使えるQUIZ日本史 [3]さんの要約・引用です。(画像も同サイトよりお借りしています)

縄文時代後期(今から4000年前)の遺跡である、千葉県の古作貝塚から発見された20体の人骨の組織蛋白質(コラーゲン)を調査・分析して得られた結果では、蛋白質に関しては、動物・魚類・貝類から得ている割合は、合計69.2%となります。 しかし、毎日の熱量でいうと、その80%を植物から得ています。 縄文時代は、「狩猟・採集」の経済ですが、その採集の部分が意外と重要な割合であることがわかります。 しかも、その植物というのは、木の実やヤマイモで、アワ・ヒエ・キビなどの雑穀類ではないこともわかっています。 
縄文時代の植生は、西は照葉樹林帯、東はナラ林帯。
縄文時代は、おもに東日本に広がったナラ林帯を中心とした森の文化だったのです。

なるほど~、農業が一部行われていたかもとはいえ、縄文時代の主力は、採取生産。木の実が豊富にとれる植生であるところのほうが採取には適していたということなんですね。
ところで、東北地方の有名遺跡といえば、三内丸山遺跡。青森県にありますが・・・
三内丸山遺跡  特別史跡三内丸山遺跡 [6]より

縄文時代前期から中期(約5,500年前~4,000年前)の大集落跡や平安時代の集落跡(約1,000年前)、中世末(約400年前)の城館跡の一部が見つかっています。
特に縄文時代の大集落跡からは、たくさんの竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物がすてられた谷(泥炭層)、約1,000年かけて造られた盛土、大人の墓、子供の墓、土器作りのための粘土採掘穴などが見つかりました。

こんな大きな遺跡がみつかっているので、縄文遺跡といえば東北 っていうイメージがあるのかも。

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