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古代中国:父系氏族社会への移行

前回の「古代中国:母系氏族共同体の特徴」 [1]に続き、父系社会の始まりについて紹介します。
(「図説中国文明史1先史文明への胎動」より)
約4000年前になると、黄河流域と長江流域の氏族集落は相次いで父系氏族社会へと移行します。最初それは父系の血族集団で、かつ生産体系でもありました。集団は、生産力の増加にしたがい、いくつかの父系親族の共同体に分かれます。父系制への移行は、核家族と私有財産の出現とあいまって、私有制の社会へと変化していきました。
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この写真は、陝西龍山文化の遺跡で、玉人の髪飾りという装飾品です。
集落の首長か、崇高な地位にある神職シャーマンの姿だと推測されている様です。

母系氏族共同体の後期から、生産力が高まり、鋤耕農耕が発達し、犁耕農耕へ移行する場合もありました。漁撈と採集による生産は補助的なものとなり、男性の労働力は漁撈から農耕へと移ってこれが社会の生産の主力となります。

また手工業の発達を早め、冶金・土器製作などの複雑な工芸は、育児や家事にわずらわされることのない男性に適合していて、女性は生産活動ではしだいに二次的な地位へと追いやられていきます。このような地位の転化は、母系制から父系性へ取って代わるきっかけとなります。

父系氏族共同体では、男性は農業と手工業生産の主力であり、生産工具と財産の創造者でもありました。生産が日増しに増加するにしたがって余剰品も増え、男性は氏族内での地位をよりあがめられる ようになります。

氏族の首長らは他の氏族との産物との交換で、集団の余剰の財産を己のものとしたために、個人が財産を占有する現象が出現します。個人生産と商品交換が出現すると、氏族内部の貧富の差が拡大し、私有制が日ごとに強固なものとなっていきます。

血縁を紐帯としてできた父系氏族共同体は、系譜は父系に基づき、男性が氏族の首長となりました。男性は氏族内部で主導的な役割を占め、私有財産はすべて男性によって後の世代に受け継がれます。
氏族共同体内での当初の統治はなお民主的で、首長は氏族の年長の男性が担当します。彼らは労働に参加し、重大な事件があれば長老を集めた氏族会議を催して判断します。氏族の首長は色に不適合な場合には、いつでも罷免されました。

しかし私有財産の発生によって、氏族の財産を掌握する人物が権力を独占し、氏族の支配者となります。氏族の首長と氏族の成員とはしだいに対立するようになり、階級が分化し、最終的には氏族共同体が瓦解して、国家が誕生します。

生産スタイルの変化が、集団内での男女の役割分担に変化を生み出し、共同性を奪っていったということか?
さて、もうひとつの集団を規定する要因があります。そう、婚姻制度です。
母系では集団内での婚姻から、異なる血縁での通婚に発展し、しだいに男女関係が固定された対偶婚(共同生活の中でのゆるやかな1対1の男女関係)に変化していきました。

男性が私有財産を掌握したことから、子供を育てて財産を継承し代々伝わらせるために、男女関係が比較的安定して続く一夫一婦制が行われました。夫婦の地位は平等というわけではなく、妻は単なる夫の私有財産 にすぎませんでした。

中国の考古学研究者であるこの本の著者は、生産の主力となるものが、集団を統治していくという視点で古代中国の集団を分析しており、女性は首長から、単なる私有財産になってしまったというのです。
ここに同族間の戦争がどう絡んでいったかの視点を加えて、改めて母系→父系の要因をさぐっていこうかと思います。

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