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イヌとヒトは1万年以上続くなが~~~い お付き合い!

ニュースです。 😀
【縄文時代から「人間と犬」仲良し…乳児と子犬の合葬を確認】
愛知県田原市の吉胡(よしご)貝塚(縄文時代後期~晩期)で、乳児と子犬が一緒に埋葬されていたことが同市教委の調査でわかった。こうした合葬は全国初のケースで、縄文時代の人間と犬との深いかかわりをうかがわせる事例という。
吉胡貝塚は大正時代から発掘が行われ、2001年度から昨年度まで実施した今回の調査では新たに乳児を含む12体の人骨を発掘した。そのうち墓穴とみられる直径50~60センチの穴から乳児の頭骨や手足、あばら骨の一部が見つかり、頭骨から約20センチ離れたところに子犬の下あご(長さ3センチ)の骨があった。乳児の性別は不明で身長50センチほど。生後間もなく死亡し、犬と合葬されたらしい。 
田名部雄一・岐阜大名誉教授は「縄文時代は犬が唯一の家畜で、猟を手伝ったり、外敵を警戒したりしていたと考えられる。乳児と合葬されていたことは、それだけ犬が大事にされていた証拠」と話している。 (2007年6月6日読売新聞より)
この記事、驚きなのは縄文時代に人と犬が共に暮らしていたという事ではなく、犬と人間の合葬事例が見つかったのがこれが一例目であるという事です。縄文人は犬と共存していたという記録はたくさん聞きます。しかし埋葬は一例、なぜか・・・。これは後で
今では多くの犬がペットして飼われています。犬を見るとかわいいーだけではなく、何か近しい、懐かしい特別な感情を抱きますね。さて、犬と人間の歴史はいつからかご存知ですか。 8)
%E7%B8%84%E6%96%87%E7%8A%AC.jpg←縄文犬のイメージ写真
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まずは犬の勉強から。
今回は会報 「柴犬」編集委員 [3]犬専門サイト「DogdOgdoG」 [4]より縄文期までのヒトとイヌの歴史を追うのコラムよりいくつか紹介させていただきます。
約50万年前にイヌ属の祖先である原始的なオオカミが誕生し、さらにオオカミの中でもタイリクオオカミからイエイヌが分化されたのは僅か30,000年~15,000年前の旧石器時代だと考えられています。以前はジャッカル起源説、絶滅した野生犬起源説がありましたが、前者は遺伝子的見知から否定され、後者は現在に至るまで化石等の証拠が発見されておらず今のところ想像の域を出ていません。
オオカミからイエイヌへの進化の過程には二説あり、人の生活圏内に住むようになったオオカミが自然に(人の手を介せず)進化したものとする説と人の手によってオオカミを選択交配したものとする説があります。 2002年には国際研究グループによる遺伝子解析がアメリカの科学誌「サイエンス」に発表され、約15,000年前に東アジアでイエイヌが誕生したとされました。また、同研究グループでは犬は数種類の異なるオオカミ から分かれ、同じ時期にいくつかの地域で人工的に家畜化が進んだと分析しています。この内容だけで断定することはできませんが、オオカミから犬への変化のスピードを考えるとやはり人間の手による選択交配が 行われたのではないかと思われます
30,000年~15,000年前の旧石器時代に東アジアから中央アジアにかけた地域で誕生した犬はアジア全域及びヨーロッパへ1,000~数千年かけて生息域が広げ、その課程で各地のオオカミとも交配がなされ生活環境変化等にもより様々犬種が発生したものと思われます。また、アメリカ大陸にはヨーロッパから持ち込むまでは犬はいなかったとする説は否定され、ベーリング海峡を(当時は氷河で陸続き)わたり、14,000年前~12,000年前にはアメリカ大陸にも犬は渡っていたことが遺伝子解析によりわかったそうです。
以上が犬の歴史の概略です。遅くとも、ほぼ1万5千年前には日本列島で人間と犬の共存は始まっているのです。さて日本にどのように犬が渡ってきたのでしょうか?ここからは縄文犬のルーツです。
江坂教授の説明によれば、浙江省山地で、古くから飼育されていたイヌ(新生代第四紀、洪積世)こそが、柴犬(縄文時代犬)の祖先である!。とされています。
こうした説は、考古学者、生物学者によって支持されるもので、血液DNA 鑑定によっても明らかなのです。珍島犬より浙江犬と、縄文犬(柴犬)はより近い値を示します。
浙江犬の飼育の始まりは、短く見積もっても、シリアの洞窟から出土した最古の犬骨(3万年以上前)と、さして違わぬ時期のことなのでしょう。

イヌの骨は、ヒトと比較すれば、随分と小さくまた細いのですから、石灰質の洞窟や、同様の保存状態を保てる貝塚や埋葬例などからのものに限られてきます
日本列島各地から出土した犬骨から、ヒトとイヌに共通するルーツと、移動ルートが見えてくるようです。 画像の確認 [5]
さて、その犬は何をしたのでしょう?
狩猟の番犬、家屋の外で危険を知らせるガードマン、シカや猪を倒す闘争、そして縄文時代とて犬を集団の大切な仲間として癒し癒される存在としてあったのだと思います。
犬は当初人間に肉食獣の接近など危険を知らせる番犬として役目をこなしていましたが、その後猟犬として働くものが出てきたようです。このころより犬は人間にとって無くてはならないパートナーになっていました。イスラエルにある12,000年前の遺跡からは人と一緒に埋葬された子犬の骨が発見されています。
市原市埋蔵文化センターのHPに以下の記載があります。
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縄文早期に、埋葬されたイヌの骨が物語るものは、縄文期を通じ、忠実に寄り添って生きた、縄文犬の姿です。出土した犬骨が物語るものは、殆ど6歳までで死んだ成犬と、生後半年ほどで死ぬ幼犬が多く、成犬の歯の強い磨滅が目を引くといいます。彼らはヒトの補助役を果し、激しい労働に耐えていたのです。縄文人にとっての主な狩猟の対象はシカとイノシシですが、これらの動物は現代のものよりも大きかったようですので、弓矢や石斧のような道具しか持たない縄文人にとって、狩猟の際にイヌの果たす役割は、非常に大きなものであったはずです。一方、現在の柴犬程度の大きさしかなかった縄文犬にとって、これらの大型動物と格闘することは、まさに命がけであったことでしょう。
縄文時代の生活基盤は、狩猟・採集を基本としていたと考えられていますので、イヌの大きな役割のひとつに、狩猟犬として使われていたことが考えられます。
面白いのは集落の形成と、集落間の間合い距離の関係で、山や丘の尾根筋に、ほぼ2kmの間隔が取られていたことです。狩猟のための入会半径は、重複しながら、5kmの半径を持っていたらしいのですが、これは、イヌを自由にさせたとき、飼い主を中心に半径2kmの山野を、行動するように見られることと符合します。

さて、最後になぜ人と犬の合葬がこれまで発見されていないのか?その答えは上記の文章の中にあります。(青いラインの部分) 8)

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