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鬼界カルデラの大噴火により、琉球発のネットワークが始まった?

こんばんは、etoです。
前回は、スンダランドから北上した港川人の人骨を紹介しました。リンク [1]
琉球に住み着いた人々は、主に漁労生活を営んでいましたが、本土との交流はまだありませんでした。
が、約6000年前頃には鹿児島の前期縄文が沖縄本島へと南下しています。この頃からスンダランド由来の琉球文化が本土の文化と交わっていくわけですが、今回はそのあたりを考えてみました。
下の図は、鹿児島の南にある薩摩硫黄島です。
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実はこの島、縄文早期後半の約6300年前、海底火山「鬼界カルデラ」の噴火によって出来た火山島なんですね。
爆発規模は、雲仙普賢岳の凡そ100倍、火砕流の規模は雲仙普賢岳の1回の火砕流噴火の数10万倍に相当するほど驚異的で、過去一万年の日本火山史のなかで最大の噴火だったようです。
上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く東北地方にまで飛散したほどで、南九州一帯は、60cm以上の厚さで埋め尽くされた、とのことです。スゴイですね!!
さて、この大噴火が琉球圏の人々の生活にどう影響したのでしょう?
「琉球弧の考古学」さん [2]
>南九州の初期縄文社会は、巨大噴火によって壊滅的な打撃を被ってしまった。その後この地を逃れた南九州の縄文人は列島各地に拡散して行った。特に「海人集団」は丸木舟や筏舟で対馬暖流を北上し日本海を通り北海道へ、さらに黒潮本流に乗って太平洋沿岸地域から伊豆諸島の八丈島にまで移住した集団も確認されている。
「石斧のひろがり・・・黒潮文化圏」 [3]
>この火山災害を免れた南九州縄文早期人の一部は、陸路を九州中・北部に避難していった。一方、海人集団のなかには対馬海流を利用して海路丸木舟で西九州沿岸や日本海方面に移住した人びと、黒潮本流に乗って四国、紀伊半島の太平洋沿岸地域やさらに遠く伊豆諸島にまで到達した人びともいた。こうした南九州縄文人の航海の軌跡は、栫ノ原型石斧に続く円筒形片刃磨製石斧が、高知県木屋ケ内遺跡、和歌山県紀ノ川中流域の遺跡、東京都八丈島などの遺跡で発見されていることで証明される。
沖縄から八丈島まで、こちらも想像を絶する大航海です!
想像を絶するほどの大噴火により大打撃を受けた島人たちは、命からがら可能性を求めて、北へ、東へ脱出を試みたのでしょう。その際に南方固有の磨製石斧が列島各地に伝わったわけですね。さらには、舟の技術、あるいは豊富な貝類で作った首飾りなども伝わっていったのかもしれません。その後、弥生時代にかけて貴重な装飾品を求める「貝の道」へと交易ルートが続いています。リンク [4]
このようにして、琉球発の縄文ネットワーク [5]が始まったのではないか?と思った次第です。
以下に、黒潮圏の「海上の道」を紹介します。リンク [3]
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ありがとうございました、応援よろしくです。
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