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縄文人は黒潮をどうやって横断したのか?

>なぜ、海を渡ろうとしたのか 特に、八丈島は北部伊豆諸島と比較し、本土からの距離が遠い。黒潮の流れを簡単に突っ切れるほど甘くはない。どうみても決死行としか思えない。逆に、そこまで行こうとしたのはなんで?縄文人は、なぜ「海」に可能性を求めたか? [1]
さーねさんも疑問に思っているように、黒潮の流れに逆らってどーやって本土から八丈島に行けたか気になりますね。それについて仮説を立てているサイトがありましたので今日はそれを紹介します。ちょっと面白いです。
これ宜しくお願いいたします 😉
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日本列島交流史 [4]
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【ピンポイントの航海術】
1、古代の航海術
①(A~B)往路
南から吹く風を利用して伊豆諸島の島伝いを経由して房総半島か伊豆半島を目標にして舟を進める。
半島が見えたら、沿岸部に平行して進み東京湾の最深部に上陸する。一年のうちでも、可能な時期は限られたでしょう。
6月~7月の間か?夜間航海となっても方向を見失うことはないのは月・星によって進む方向がわかる技術を持っていた。
②(B~A)復路
往路の逆を進むのだが、違うのは進む方向が厳密であることが必要です。ようするにピンポイントの航海にならざるを得ないでしょう。なにしろ太平洋の真っ只中の小さな小さな島をめざすのですから。それを可能にするには紀伊半島まで沿岸航海をして、そこから黒潮に乗って一気に神津島まで航海する。神津島が見えたら黒潮を離れてたどり着いたのでしょう。もし、その時が夜間であっても神津島を見分けることの出来る能力(視力?)を持っていた。
③(A~D・D~A)の黒潮横断航海
A~D間には幅50~100Km、深さ200~1000m、最大時速7ノットの黒潮が流れていますから、これを横断することになりますが、どのようにして横断したのか?黒潮を遡上してC点(紀伊半島)まで行き半島が見えたところで黒潮にのって黒潮の端から端へ漕ぐ(移動する)。近づいたら黒潮から降りる。・・・で、行き来きできる。
舟は4~5人のチームを組んだ安定性のある「イカダ」。推進力は人力では無理。やはり風利用の帆と方向を調整する舵とかロールは必要でしょう。(海上航行に丸木舟を使用したとする説が有力のようですが、丸木舟であれ、筏であれ帆の使用による推進力を得た・・・・でないと黒潮の横断や黒潮を遡上して、相互交易ができないではないか!)
必須条件の水はヒョウタン、大型の巻貝、竹、土器のどれかの容器に詰めて持参。イカダとの組み合わせを考えると「竹」が有力か?
・・・・空想を広げてみました。

筆者も空想と言っているように、これまで縄文時代の丸木船に“帆”のあった形跡が発見されていないので、あくまでも上記は仮説にすぎませんが、確かに上記方法をとれば可能かもしれませんね!
しかし謎・謎・謎ですね~
どうやって黒潮横断したんでしょうか???

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