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中国文明:姜寨遺跡の婚姻制~男達の性への欠乏△・掠奪前夜

今晩は^^さーねです 😮
>中でも母系から父系への転換は興味深いテーマです(縄文ー古代通信 NO3(19年6月号) [1]
中国文明の国家や市場の話は結構ネットでも資料があるのですが、この辺の情報は、実はなかなかネットでは資料がなく、そろそろ本で勉強しようと思っていたところです 🙁 ただ、国家の形成と同時にやはり各集団はどのような営みだったか?⇒集団はどのように統合されていたか?
やはり、婚姻制 の変遷がキーポイントになってくると思われます 😀
今日は、姜寨(きょうさい)遺跡から見られる婚姻制の一事例を皆さんに紹介したいと思います
ko_0513.jpg
防御のための環濠を掘る様子
今日参考にさせていただいたのは、
レアメモリーの古代・黄河文明研究 [2]
るいネット [3]より
漁労・採取系民族における婚姻制の変遷 [4]
仰韶文化中期における父系氏族統合の背景分析 [5]
みんなにぜひ見てほしい!応援を! 😀
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姜寨遺跡は、BC5000~4000年頃の仰韶(ぎょうしょ)文化に属する遺跡です。
以下、レアメモリーの古代・黄河文明研究 [2]より抜粋しました。

200m×150mばかりの楕円形の村落で、周囲に幅2~3m、深さ2~2.5mの濠を切り、半地下式の竪穴式住居の環濠集落が発掘されました。今からB.C.4,000~5,000年にかけて、農業・狩猟・漁猟を行なう共同生活を営んでいました。
集落中央が広場で、住居は広場を囲うように5群に分かれて建っています。各群は大型・中型の住居を各々1戸と小型住居を約20戸位で構成され、全体で100戸ほどです。人口は4~500人程度と推定され、木柵・出入口・望楼を持ち、日本の同時代の縄文時代中期と比較して、随分と緊張感のある環濠集落です。

自然外圧は既に克服していた状況で、環濠集落であったということは、他集団到来等、外圧状況が高まっていたことを示します。さらに、防御のための木柵や周辺監視のための望楼の存在は、頻繁に他集団の襲来があったことを伺わせます。

この集落は、族内婚(ぞくないこん)制をとる、5つの小婚姻族に分けられる一氏族だったろうと推測されています。帰属集団内部での通婚を行うことを、族内婚といいます。

他集団の襲来という状況に対して、集団の結束を高める必要がありますが、この族内婚がその集団統合の答えであったと思います。るいネットの漁労・採取系民族における婚姻制の変遷 [4]を参考に当時の状況を推測してみましょう。

自然外圧が大幅に低下した漁労系民族では、成員の能力格差が生じにくく、平準化する(ex.貝なら誰でも容易に採れる)。結果、集団統合力(=首雄による集団統合)が低下。一方で、自然外圧の低下による性闘争本能→性欠乏の肥大が起こり、首雄集中婚が崩れ、全員婚(≒乱婚状況)へと婚姻様式が変化していく。

端的に言えば、男達が「女をよこせ」との声が… 😈
そこで、族内婚という形式を取ったと考えられます。
姜寨遺跡の集団:族内婚への移行はこんな感じ?
集団統合=血縁は残す⇒女の方からしか辿れない⇒母系制

自然外圧は克服(+他集団の襲来はあったが防御?掠奪闘争まではない)

男どもが「女をよこせ!」

しかし血縁は残さねば…
↓↓
氏族内での母系の族内婚(あるいは全員婚=兄弟婚とも言います)
しかし、この姜寨遺跡。どうも、環濠集落であることと様々な防御跡を考えると、かなり流動的な遺跡です。散発的に掠奪まがいの闘争 が起こっていた可能性もあります。そう考えると、父系制に転換した可能性も充分ある?この辺は、るいネットの仰韶文化中期における父系氏族統合の背景分析 [5]を読んでみてください
次は、掠奪の龍山文化を調べてみたいと思います

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