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2007年06月24日

縄文時代:女性の役割~育てる能力を生かした!-栽培

今晩はさーねです 😀
最近、思うことですが、縄文時代の出土品や遺跡は日本全土で星の数ほどあると思います。遺跡の形や出土品はその時代の縄文人の行動を解明する上で大事な物差しとなり、様々な解明がなされていますが、何かその時代を解明する上で足りないなーと感じることがあります。それは、やはり縄文集団の統合軸,男女の役割等の人間の意識構造です。その意識構造を学ぶことで初めて、現代社会に生きる歴史を学ぶということになるのだと思います。 😉
そんな問題意識をもって、今日は、女性の役割に焦点を当てたいと思います。とても、面白い論文報告を見つけました。
国際縄文学協会紀要 第1号 2004 国際縄文学協会「熊本県上南部遺跡の土偶」
もちろん、女性は「子育てが役割!男には絶対真似ができない役割ですね!この「育てる」という能力は女性にとって、やはり大事な能力であり、子育てに限らず、集団生活において様々な「役割」へ生かされていたと考えられるのです。
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この土偶…なぜか常に核となる遺跡から出土するそうです… 😉
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国際縄文学協会紀要 第1号 2004 国際縄文学協会 熊本県上南部遺跡の土偶より、抜粋していきます。

上南部遺跡を含む熊本地方の核遺跡では、石器組成、植物遺体により栽培が行われていたと考えられる。土偶は常にこのような栽培が行われていたと思われる核遺跡から出土する。

土偶は女性を模したものとよく言われますね。一方、栽培は集団の食確保という点で、重要な核であったはず。 😮

今日、栽培が行われている社会の多くで女性が栽培の大部分の仕事を行っている。縄文時代でも女性が植物資源に対して責任をもっていたと考えられている。これには直接的な証拠はないが、植物栽培の初期の段階において女性が貢献したとするモデルに従って上南部遺跡の場合を考える。

農村などを思い起こしてみると畑や田んぼで「おばぁちゃん」がいますよね。もちろん、力仕事もありよこに「おじいちゃん」いますが…

植物栽培の開始についてこれまでは政治的・経済的な見方が顕著であったが、Hastorf(1998)は社会的・文化的な見方を試みた。彼女は、女性が子供を世話するのと同じ方法で植物を育てることから、採集や栽培社会において主要な穀物が女性に伴うことは驚きではないと主張している(1988:77)。育てることは女性が一人で行うことではなく、家族、住民グループ、血縁者、そして社会とともに行う

ここです!
よく考えてみると、女性は頭の中が真っ白な赤ちゃんを育てる=赤ちゃんに同化する能力が高い
るいネットにも投稿がありました
赤ん坊への同化能力における男女の違い…

赤ん坊の表情を認識するのに、男性はもっぱら本能・共認レベル回路のみを使って単純に判断しているが、女性はむしろこれまでの記憶と照合する形でより高度な判断を行っているらしい

栽培という役割で考えてみれば、意識もない,言葉も何も発しない植物に対する同化能力も、実は男性より高いと見てよいのではないでしょうか きっと、栽培を通して植物を育てる能力も実は男より高かったのではないでしょうか
また、るいネットでアイヌ人に関する紹介がなされています アイヌの川は女性

このような集団共認は、とりわけ女性自身の川(川に限らず森羅万象)への同化能力を高めただろうし、その高さゆえに集団全体が女性への期待を込めてそう命名したとも考えられる。「女性は大地」という共認は、(とりわけ生存圧力を主な外圧とした時代)生命を生み育てる性と同一視され、根源的な共認だったのだろう。

ここで女性の役割を整理 😮
・元々、子育てが役割→同化能力△→子育て能力△
・子育てでの同化能力を生かし→植物へ同化→さらなる同化能力△→栽培方法の進化△

縄文人の栽培において、女性は育てる能力⇒同化能力を栽培に生かし、集団に貢献していたのではないでしょうか?
では、現代に引きつけて考えてみるとどうでしょうか?
家庭でのしつけなどは崩壊し、キレル子供が増加したり…子育て支援事業が当たり前になり、子供を預けて自分は習い事や買い物などに出かけていく母親の増加子育てはまともにできていない状況 😥 です。きっと、縄文人をはじめこれまで子育てや農作業などを通じて培ってきた「育てる=同化能力」 の状態
子孫を残すという意味でも、「育てる=同化能力」は女性の大事な役割なんだと改めて感じました 😀
PS:家庭を聖域にしてはいけないで子育ての現状を、様々な事例を元に詳細にレポートされているので、ぜひ見てみてくださいね 😉

投稿者 sawatan : 2007年06月24日 List  

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コメント

私の田舎は九州ですが、今でも正月用に餅つきをすると、水の神、土の神、山の神、、、と、あちこちに餅を飾ります。
アイヌの人も同じなんですね。
>「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの力が及ばないもの」を神とみなした、、、
自然に対する想いとしては、素直に理解できますね。
一方、他者に対してはどうだったのでしょうね。
ますます知りたくなりました♪

投稿者 eto : 2007年7月14日 19:52

etoさん、こんばんは。
>一方、他者に対してはどうだったのでしょうね。
ヒントありがとうございます。
気になったので、少し調べたら、「ウタリ」とよんでいるんですね。
「ウタリ」というのは、アイヌ語で同胞・仲間といった意味なんですね。
自分達のことを「アイヌ」ではなく「ウタリ」と呼ぶことを望む人も多いことも知りました。
同胞を大切にしている想いが伝わってきます。アイヌの人たちにとって、特別な想いのある言葉なのだと思います。

投稿者 yuyu : 2007年7月14日 22:14

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