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道教~母系氏族社会を源流とした共同体規範

こんばんはetoです。
前に「中国と日本の死生観の違いって?」 [1]において道教に少し触れましたが、今回はその起源について紹介します。
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ご存知、なんで屋カード [2]ですね。
女は慈愛にあふれた素晴らしい存在”、、、いい言葉ですね。
実はこれ、道教の教えと関係しているんですね、
ホント?と思われた方は、ポチっと押しながら次を読んでね。
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中国の三大宗教は、儒教、仏教、道教と言われていますが、その中でも日本人にとって一番なじみが薄くて、よく分からないのが道教ですね。
そこで、仙学研究舎 [5]さんより紹介します。ちょっと長いけど、頑張って。

●道家や道教、神仙の学の源流は、母系氏族によって共同生活を営んでいた原始社会の宗教伝統まで溯ることができる。母系氏族社会が形成される以前では、宗教や哲学思想を生み出すことは不可能であり、母系氏族社会の原始宗教が中国文明の始まりである。母系氏族社会の原始宗教は自然発生したものである。
こうした宗教は、原始の人々が共同で生きていく中で考え出したものであるが、いったん生み出されると、氏族集団全体の信仰に変わり、生活の各方面に浸透していった。氏族の構成員すべてが宗教儀式に参加し、宗教の行為規範を厳格に守らなければならなかった。宗教に背くことは氏族から離れることであり、氏族から離れることは生きるすべを失うことだった。このように、原始宗教は氏族社会のすべてに影響を与え、氏族の構成員のすべてが忠実な信徒だった。こうした原始宗教は自然崇拝・トーテム崇拝・天神崇拝・祖先崇拝などを含んでいたが、母系氏族制の中で最も特徴的なものは女性崇拝(女始祖崇拝や女陰崇拝などを含む)である。
●道家哲学の源流は、母系氏族社会の部族の統率者の政治経験である。
母系氏族社会では、部族は血縁によって一つに結び付いていて、老祖母が統率者で、その子孫が部族の構成員だった。部族は、後輩を慈しみ、欲を少なくして争わず、陰を貴び柔を重んじ、自然無為であることによって統治されていた。そこでは、父系祖先の社会のような厳しい刑法や繁雑な礼儀はなく、宗法礼教によってで部族の人々を束縛することもなかった。
老子は言う。「政治がぼんやりしていると、民衆は純朴で重厚である。」
      「大きな国を治めることは、小さな魚を煮るのに似ている。」
      「第一は慈愛、第二は倹約、第三は天下の先頭に立たないことである。」
こうした政治原則は、母系氏族の共同生活集団の伝統的な政治と同じものである。
母系原始社会には、事物を雌と雄に区別する習慣があった。原始宗教の女性崇拝は、目立たず柔らかく、謙虚で物静かな女性的な性質を尊重する伝統を生み出した。目立たないことや柔軟なことを重視する道家哲学は、明らかにこの伝統を抽象的に概括したものである。《老子》の中には何度も「母」という字が出てくる。「道」を「玄牝之門」(女陰)や「谷神」(生殖神)とも称し、「天下の母であるといってよい。」とも言っている。これは原始宗教の女性崇拝の痕跡である。

以上から分かる?ように、道教の教えの母胎は母系制の時代の共同体社会にあるわけです。
仲間を慈しみ、欲は少なく、謙虚で、柔軟であること、、、無為自然。
儒教 [6]が精霊信仰の否定、仏教 [7]が現実の否定を出発点にしていることとは真逆で、道教は現実を直視し、現実を生きる中で必然的に生まれた宗教、というよりも共同体規範と言えるのでしょう。
原始共同体を母胎に生まれた道教が、その後どのように政治と関わっていき変容していくのか、そのあたりはまたの宿題としま~す。
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