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縄文時代、既に農業(稲作)はあったが、普及しなかった訳

こんにちは、simasanです。
今日は、日本での農業(稲作)の起源の話です。
戦後まもない頃に発掘された静岡県登呂遺跡からは水田跡や炭化米、農具が発見され、これにより稲作は弥生時代になって初めて日本に伝えられたと考えられていました。しかし、弥生時代以前にもイネの栽培が行われていたという確かな裏づけが、昭和35年以降、九州地方の縄文遺跡から発見され始め、今から約3000年前の縄文時代後期にはすでに大陸から稲作が伝わっていたことが明らかになっています。
さらに、岡山の朝寝鼻貝塚の土の中からは、6000年前のもの最も古いプラントオパールが検出され、それよりも古い時代に原始的農耕が行われた可能性さえ出てきたのです。
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注:プラントオパールとは、植物の細胞にたまる0.05・程のガラス状のケイ酸の塊が地中に残ったもののことで、このプラントオパールにより過去の植生や栽培植物の種を判別することができるそうです。
では、何故、縄文時代は稲作が普及しなかったのでしょうか?
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最近の考古学研究の成果では,稲作の起源は,中国最古の文明が発見された長江(揚子江)流域とされています。「長江文明」を発見したのは,国際日本文化研究センター教授の安田喜憲氏らで、教授によれば,『今のところ,稲作の起源は,少なくとも8,600年前までは,確実に遡れる。もし,土器にある圧痕が稲作の証拠とすれば,少なくとも11,000年位前までは確実に遡れます。玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡や仙人洞遺跡では14,000年前まで遡れる可能性が指摘されているという段階です。』とのことです。 「ふたむらの部屋より」 [3]
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日本では、氷河期が終わった14,000年前~15,000年前頃から地球規模で急激に温暖化が始まり、この頃から日本には,ブナやナラの落葉広葉樹の森が広がり、縄文人も定住して,狩猟・漁労生活をするようになりました。ところが,12,800年前頃に,「ヤンガ-・ドリアス」と呼ばれる「寒の戻り」があり,日本以外の他の地域(ヨーロッパや西アジア)では,食料を確保するため,農耕を開始しました(⇒この時期に「小麦」の栽培も始まったと考えられています)。
    
 しかし,日本の場合は,この寒冷化(「ヤンガー・ドリアス」)は,農耕への移行につながりませんでした。その理由は,当時日本列島にはすでにブナやナラなど落葉広葉樹の森が広がりつつあり,食料が森や川から得られやすかったことが理由と考えられています。
るいネットで、以下のような投稿があります。 「人類はなぜ大地を耕しはじめたか? 寒冷期と農業の起源」 [4]より引用
農業を行わない狩猟採集民が食物生産に費やす時間は、成人労働者一人当たり平均三時間から四時間である。残りの時間は、遊んで楽しむことができる。
温暖期に人口を増加させた狩猟採取経済が、突然の環境悪化で重大な危機に直面したと想像できる。寒冷化による資源の減少が、人々に農業を強いたのである。

とあるように、縄文時代に農業が普及しなかったのは、敢えて、漁労・採集での豊かな生活を手放す必要はまったくなかったから
むしろ、弥生時代に農業が普及したのは、農業で得られた私有財産(蓄財)で集団や社会を統合することしかできなくなった大量の渡来人により、縄文社会が持っていた従来の生産・社会・祭祀体系が打破され、弥生時代に入り一気に米を中心とした生産経済へ日本中が転換させられていった、と考えるのが妥当ではないかと思います。

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