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現在のイスラエル建国とパレスチナ問題

こんにちわちわわです。
現在のイスラエルがどうやってできたのか、古代文明とはかけ離れますが、とりあえず。
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①第一次世界大戦において、トルコの統治下にあったアラブ人たちに対してトルコへの武装蜂起を呼びかけ、その対価として、1915年この地域の独立を認めた。(マクマホン協定)
②他方、膨大な戦費を必要としていたイギリスは、ユダヤ人国家の建設を支持する書簡をだし、ロスチャイルド家からの資金援助を得ることに成功した。(バルフォア宣言)。
③しかしイギリスは同じ連合国であったフランス、ロシアとの間でも大戦後の中東地域の分割を協議しており、本来の狙いはこの地域の直接支配であった(サイクス=ピコ協定)。
これはイギリスの「三枚舌外交」
と言われています。。
アラブ人には独立を認め、ユダヤ人には建国を認め、連合国には領土分割を協議するとった八方美人の態度です。後にロシアのレーニンによって全て暴かれました。
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次はアメリカの企みが・・・


1947年国連総会では、ユダヤ人の人口はパレスチ人口の3分の1で、ユダヤ人の土地の所有はわずか7%に過ぎなかったが、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が可決された。この決議は、国内の選挙において、ユダヤ人の投票獲得を目当てにしたアメリカ大統領トルーマンの強烈な圧力によって成立している。
1948年2月、アラブ連盟加盟国は、イスラエル建国の阻止を決議。
1948年3月、アラブ人・ユダヤ人両者によるテロが激化する中、アメリカは国連で分割案の支持を撤回し、パレスチナの国連信託統治の提案をした。
1948年4月、ユダヤ人テロ組織、イルグン、シュテルンの混成軍が、エルサレム近郊のデイル・ヤシン村で村民の大量虐殺を行い、その話が広まって、恐怖に駆られたパレスチナ人の大量脱出が始まった。
1948年5月、イギリスのパレスチナ委任統治が終了し、国連決議181号(通称パレスチナ分割決議)を根拠に、1948年5月14日に独立宣言しイスラエルが誕生した。
同時にアラブ連盟5カ国(エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラク)の大部隊が独立阻止を目指してパレスチナに進攻し、第一次中東戦争が起こった。
ところが、予想に反してイスラエルが勝利し、パレスチナの8割をイスラエル、2割をヨルダン領にする。
以後パレスチナ人によるテロの激化に手を焼いたイスラエルはガサ地区と、ヨルダン川西岸地区をパレスチナ自治地区として返還。ガサ地区からイスラエル人8500人は撤退したが、23万人いるヨルダン川西岸地区はイスラエルとパレスチナ領土をフェンスで分割しようとしている。
イギリスとアメリカの陰謀で作られた国がイスラエルなのです。
中東和平の推進者であったパレスチナ自治区のアラファト議長が死に、自治区分割に合意したイスラエルのシャロン主相が脳卒中で引退。
今後パレスチナ問題は全く読めない状況です。

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