お墓の歴史のHPを最近我がチーム縄文で扱っています。この際ですから、縄文時代から古墳時代までのお墓の歴史を大つかみで追いかけてみたいと思います。
縄文時代~古墳時代にかけてお墓は大きく以下のように変遷していきます。
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土こう墓(屈葬)
甕かん墓(伸身葬の混在)************縄文末期
支石墓
方形周溝墓(伸身葬)*********弥生時代
墳丘墓
古墳(石室)********古墳時代
(庶民) (権力者)
この流れを簡単に言えばただ単に土に埋めるだけの状態から甕に入れて埋葬する形態へ、さらに埋葬した上に石を置いて位置を示し、周りを掘って領域をつくる。さらに小高く盛り上げ、巨大にしていった。
要するにお墓はどんどんどんどん大掛かりになっていったのが弥生時代でした。
また階層によってお墓の種類が変わっていったのも弥生時代以降です。
方形周溝墓は家族墓として登場し、その後のお墓の原型になっていきました。
お墓の大きさを見て行きます
土こう墓(1.5×0.5×0.2)=0.15m3
甕かん墓(直径0.7×1.3)=0.50m3
支石墓 (同じ)
方形周溝墓(10×10×2)=200m3
墳丘墓(50×50×4)=1000m3
古墳(仁徳天皇稜464000㎡×10m)=4640000m3
ちなみに仁徳天皇稜は世界最大のお墓です。ピラミッドより大きい。
単純に比較できませんがお墓の大きさを比較すると
1(土こう墓)→3.3倍(甕かん墓・支石墓)→1320倍(方形周溝墓)→6600倍(墳丘墓)→3062万倍(古墳)になります。
屈葬→ 甕かん墓
→支石墓 → 方形周溝墓
→墳丘墓 →前方後円墳
お墓の大きさはそのまま権力の大きさになりませんが、お墓がバブル化していったのがよくわかります。そして薄墓令が出されてお墓は本来の大きさに戻っていきました。