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屈葬とベンガラについて~その2

前回は、屈葬ベンガラの意味について、胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説を中心にした紹介でしたが、では、実際にどこからベンガラが使用された遺跡が見つかっているのかについて、少し調べてみた内容と、別の説を補足として、エントリーしておきます。
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<屈葬:縄文文化の超自然観より>
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~hirukawa/anthropology/area/ne_asia/Jomon/index [1]
実はあまり全国的には発掘事例は多くはないようなのですが、日本では、北海道から東北部にかけて、また縄文後期から晩期にかけて、ベンガラがまかれた遺跡が発掘されているようです。
その内、代表的なベンガラがまかれた遺跡は、北海道の恵庭市カリンバ跡(縄文時代後期後半(約3500年前))のようです。
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まず、この年に発掘された、この時代の墓は35基を数え、その70%に漆製品や玉などが副葬されていた。墓の形は楕円形で、長径が1~1.5m、短径が0.5~1m、深さ0.3~1mの規模のものが多い。遺体の埋葬方法は、副葬品と人の歯の位置から、西側に頭を置いて屈葬にしたと考えられる。大半の墓の底には、赤いベンガラが数センチの厚さでまかれていた。
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<ベンガラまかれた遺跡写真、縄文への旅立ちより>
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200111/1105_04.html [4]
 
鮮やかな赤色をした漆塗りの装飾品も同時に埋葬されたいたようだ。
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<朱色塗りの櫛>
奇麗な朱色が目に映えますね。
また青森県八戸の是川・中居遺跡でも「赤染人骨(あかぞめじんこつ)」が見つかっています。
是川・中居遺跡で見つかった「赤染人骨(あかぞめじんこつ)」である。土坑墓内の遺体は赤色顔料のベンガラで染まっていた。
 小久保さんによると「ひざを折り曲げた状態で埋葬」されていた。成人の骨で、性別は不明。墓は縄文後期から晩期の遺構とみられている。
 中居では昭和四十九(一九七四)年に、考古館裏手の墓域で赤染人骨二体が出土しており、その発掘調査概要にはこう記されている。

(是川文化 よみがえる縄文 (29) 赤染人骨 赤彩された土坑墓の謎 )
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/korekawa/kore_29.htm [5]
ベンガラをまいたものは、日本だけでなく、世界でも事例があるようです。
たまたま、屈葬で検索していると、ベトナムでの遺跡の記事が引っかかった。
ベトナム北部のハンチュア洞窟では遺骸は屈葬され、足元には副葬品として石器が置かれていた。ニンビン省のハンダン洞窟の3体と、モクロン岩陰の5体の場合は、遺体は折り重なって埋葬され、その上には赤い顔料が振り掛けられ、石器が副葬され、遺体の周囲には石が積み上げられている。ランガオ洞窟では、25㎡の範囲に200個の頭骨と、頭骨の傍には四肢骨が密集した状態で置かれていた
・・・略・・・
チャ洞窟の下層部のホアビン文化の埋葬では屈葬であり、上層部の新石器文化層では伸展葬が見られる。ペラク州のゴルバイト岩陰では、屈葬、二次葬、伸展葬があるが、頭骨の位置を示すために石が置かれていた。グアケルバウ遺跡では屈葬人骨の埋葬された中央に大きな石が置かれていた他、赤色顔料の散布もあった。この事は、頭骨と四肢骨と言特定の部位の骨に対する特別な感情が当時の人々にあった事を示しており、石器の副葬遺体の赤彩と言った厚葬の風習が既に存在していた事も物語っている。

http://kkuramoto.web.infoseek.co.jp/15-kouki-repo-to.htm [6]
 
ベトナムの遺跡に関しても、埋葬に関して赤い顔料が使われていたようだ。
見つけた事例としては、この一例だけだが、日本だけでなく、かつての人類は、仲間やその死に関して共通の認識を持ち合わせていた可能性も考えられるのではないだろうか。
その一方で、縄文時代のベンガラ使用に関しては、
両ひざを立てるようにして葬るパターンの屈葬や、埋葬関連の集石遺構が多くみられることが、その根拠として挙げられる。これは、死者が立ち上がって動きだすのを抑止する、縄文人なりの「再起防止」策というわけだ。
 そう考えると、土坑墓(あるいは被葬者)にふりかけたべンガラの赤には、再生というより、死者を封じ込めるための呪術(じゅじゅつ)的な意味がもたされていたのかもしれない。

(是川文化 よみがえる縄文 (29) 赤染人骨 赤彩された土坑墓の謎 )
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/tyouki_kikaku/korekawa/kore_29.htm [5]
という説もあるようだ。
この説に則ると、なぜ死者が起き上がると考えるのか、なぜ復活した死者が動き出すのを抑止する(=恐れる)かということが焦点となる。
確かに、鳥居の色に象徴されるように、古代から、朱色は死者・悪霊から身を守るための色として使われてきたという説もあり、現代人の私たちに置き換えて考えてみると、動き出す死者=この世に未練を残した幽霊又は何者かに操られたゾンビ的な発想にもつながり、恐ろしいもの、ゆえに死者封印としてのベンガラを使用ということのようである。

 
ちなみに、弥生時代の吉野ヶ里遺跡でも、
吉野ヶ里遺跡では、これまで11基の石棺墓が見つかっている。石棺には石の蓋が数枚重ねられており、その内面には、赤い顔料(ベンガラ)が塗られている。
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/k-yda1/k-ycj1/k-ysj2/IPA-yos480.htm [7]
という記事があり、弥生時代でも、赤い顔料が特別な意味合いをもっていたことが伺える。
縄文人からのベンガラ(=朱色)の意味合いが弥生時代にも引き継がれたのか、その意味合いはどうだったのか?機会があれば、引き続き、調べて見たいと思います。

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