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古代イスラエル王国建国まで

こんちゃ!ベジーです
ユダヤ民族を追いながら、古代のイスラエルが出来るまでを調べてみました。

ユダヤ民族は、もともと遊牧部族セム族の一派で、彼らはレバント地域(今のパレスチナ・レバノン地域)で、安定的な縄張りを確保できなかった民族でした。
また、彼らは縄張り確保できなかった故に、民族内の殺し合いにまで至った民族でもあります。
しかし、いくら民族内の殺し合いをして人口を減らしても、縄張りが確保できるはずもなく、ユダヤ民族は、レバント地方からエジプトに移り住みます。
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【ユダヤ民族の起源】
その頃、エジプトの古代パレスチナに定着したセム系の遊牧民であるヒクソスが、紀元前1730年頃から紀元前1580年までエジプトを支配していました。そこにヨセフの一族(ユダヤ民族)が移住します。
しかし、紀元前1580年ヒクソスが倒され、エジプトはアーモセス第十八王朝となり、このときから外国人であるヨセフ族(ユダヤ民族)の奴隷時代がはじまります。
やがて、そこでの仕打ちに耐えかねて、紀元前1230年頃、エジプトのユダヤ人たちはモーセを中心にしてエジプトを脱出し約束の地カナンに向かいます
その後40年にわたってシナイ半島、ネゲブの砂漠をさまよい歩きます。この頃の部族の戒律がモーセの十戒であり、後のユダヤ教の原点となります。
モーセの後継者ヨシュアのときに、カナンに散っていたイスラエル諸支族らを連合させてカナンの土地を落とし、ここに一応の定住をみました。この一派がヤハウェを唯一神とする宗教的な共同体を形成したはじめてのユダヤ民族の起こりとされています。
【イスラエルの誕生】
紀元前1080年ごろペリシテ人が北部のガリラヤを制圧し、その地域のイスラエル人が奴隷となると、預言者サムエルが、サウルを初めてのイスラエルの王として任じました。この王はペリシテ人との戦いの必要から出た軍事的な指導者でした。
サウル王の死後、サムエルに見出されたダビデは南部のユダ族をまとめて王となり、ヘブロンを中心とした王国を建てます。これに対して北部イスラエルの11部族はサウルの死後、その子イシュバールを王とし、マハナイムを中心に王国を建てます。これら2王国の内紛は7年以上続きましたが、イシュバールの死後、両国はダビデを王として認めることで和解します。
紀元前995年頃、ダビデは両王国の中心に位置するエルサレムのエブス人を倒し、以後、ここを拠点にペリシテ人らを退け、古代イスラエル王国を築き上げます
ダビデの死後、紀元前963年にその子の一人ソロモンが国王を継ぎ、エルサレム神殿を建てます。この神殿が後世、第一神殿と呼ばれることになります。
【分裂】
ソロモン王の死後、部族間の抗争により統一体制は崩れ、やがて10部族がイスラエル王国(北王国)として独立し、南のエルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離しました。
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南北の王国も、紀元前722年には北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ、紀元前597年には南のユダ王国も新バビロニアに滅ぼされ、ユダ王国の支配層は、数万人規模でバビロンに強制移住させられました。
つづく・・・

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