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弥生時代の身分制度(2/2)-生口は偉い人への貢ぎ物

こんばんは、くまなです 😀
前回 [1]に引き続き、弥生時代の身分制度です。
今回は、一般に奴隷と言われている‘生口’が中心になります。
生口は、当時、卑弥呼や台与(卑弥呼の後継者)らが、魏(当時の中国)に献上した貢ぎ物 の中に含まれています。
mitugimono.JPG
表は、サイト邪馬台国とは何だろうか? [2]魏志倭人伝の語る日本 [3]を参考に追加作成しました。
弥生時代には、日本から中国への貢物として「生口」という人間が何度も送り込まれています。
魏志倭人伝での生口に関する記述を紹介します。
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其年十二月詔書報倭女王曰制詔親魏倭王彌呼帯方太守劉夏遣使送汝大夫難升米次使都市牛利奉汝所獻男生口四人女生口六人班布二匹二丈以到汝所在踰遠乃遣使貢獻是汝之忠孝我甚哀汝今以汝爲親魏倭王假金印紫綬装封付帯方太守假授汝…中略…還到録受悉可以示汝國中人使知國家哀汝故鄭重賜汝好物也
●和訳:その年の十二月、皇帝から倭の女王に詔が下される。「親魏倭王卑弥呼に詔を下す。帯方郡の太守の劉夏が、使いをよこして汝の大夫難升米と、副使の都市牛利(としごり)を送ってきて、男四人女六人の奴隷(生口)と、斑文様の布二匹二丈献上するため、都へ到着させた。汝のいるところは遥か遠いにも関わらず、わざわざ使節を派遣して貢ぎ物を持ってこさせた。
私は汝に好意をもった。そこで、汝を親魏倭王となし、金印紫綬を与える。包装してから帯方太守に託し、授けるとしよう。汝は、国民を教えさとし中国の皇帝に忠誠をちかうよう、努めるがよい。…中略…帰国したら、目録と照らし合わせて、国中の人に展示し、わが国家が汝の国に好意をもっていることを知らせるがよい。だからこそ、私は汝によい物ばかりを与えるのである。」
其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若行者吉善共顧其生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹
●和訳:彼らは、中国にやってきたりする時は常に一人の人に髪の手入れをせず、しらみをとらず、服は垢であかで汚れたままし、肉を食べず、婦人を近づけず、まるで、喪に服しているかのようにさせる。これを名づけて、持衰(じさい)という。もし、旅がうまくいけば、人々は持衰に生口、財物を与え、もし途中で病気や、暴風にあえば、持衰を殺そうとする。なにもかも、持衰が身を慎まなかったせいだからだというのである。
※ここでは、「持衰」という役割が見られます。⇒bunchanの弥生時代の海上交通事情 [6]も参考にご覧下さい。
正始元年太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王井齎詔賜金帛綿刀鏡采者倭王因使上表答謝詔聲其四年倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人上獻生口倭綿靑緜衣帛布丹木拊短弓矢掖邪狗等壹拜率善中郎將印
●和訳:正始(せいし)元年(240年)、太守の弓遵(きゅうじゅん)は、建中校尉という位の梯儁(ていしゅん)を派遣して、詔書、金印などを持たせ倭国に行かせた。そこで倭王に位を授け、皇帝の詔書をもたらし、金、しろぎぬ、絹織物や毛織物、刀、鏡などの贈り物を与えた。倭王は、詔書を持たせた使いを送り、皇帝に感謝した。その四年(二四三年)倭王は、また大夫の伊声耆(いせき)、掖邪狗(ややく)など八人をつかわし、奴隷(生口)、絹織物、赤と青の混じった絹織物(こうせいけん)、綿いれ、しろぎぬ、丹、弓の部品、短弓の矢などを献上した。掖邪狗たちは、いっぺんに率善中郎将の位を与えられた。
復立彌呼宗女壹與年十三爲王國中遂定政等以檄告喩壹與壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 靑大狗珠二枚 異文雜綿二十匹
●和訳:倭人たちはまた、卑弥呼の一族の娘で十三歳の台与(とよ)を王に立てた。国中はようやく、定まった。張政は前の回状を使って、台与を励ました。台与は、倭の大夫で率善中郎将の掖邪狗(ややこ)ら二十人を派遣し、張政らを帰国を送らせた。ついでに彼らは、魏の中央官庁に生口三十人を献上し、白珠五千、大玉の青メノウ二枚、異国の模様のある絹織物二十匹を貢いだ。
壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪拘等二十人 送政等還 因詣臺獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹
●和訳「壱与は大夫の率善中郎将、掖邪拘等二十人を派遣して、張政等が帰るのを送らせた。そして、臺(中央官庁)に参上し、男女の生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、模様の異なる雑錦二十匹を貢いだ。」
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古代の日本は、中国の王朝に対して、生口を貢物として何度も献上しています。生口は一般に奴隷と解釈されていますが、これについては諸説があります。

〈卑彌呼〉が贈ったもののうち、生口と書かれている男女計十人が問題であるが、この実態については、たんなる奴隷という説、技能者という説、留学生という説まで、議論が分かれている。ただ一種の奴隷だったとしても、いまの言葉でいえば召使いであり、アフリカからアメリカ大陸に連れてこられたような種類の奴隷ではないであろう。なんらかの技術を持った人間が、忠誠を表すために贈られたのだろうし、のちに日本にもどっただろうという説もある。

オロモルフさん『卑弥呼と日本書紀』70 [7](掲示板 de 千代ヶ丘)より
だそうです。つまり、まだよくわかっていない。
1700年前頃の中国(晋王朝)について記した『晋書 [8]』には、生口が売買されている記述がある。(⇒堀貞雄の古代史・探訪館 [9])少なくとも彼らの目には、そのような生口と同様に映ったことから、専ら労務を担う役割の者であることは確かだろう。
中国も日本も戦乱の世であること、また同族の者を貢ぎ物扱いにすることは考えにくいことから、日本にとっては戦争捕虜を中国の兵役・労役のために献上したのではないかと考えられます。周辺諸国の捕虜を得ることは、単なる人手としての意味を超えた価値(情報収集、諜報活動など)があったと思われます。

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