- 縄文と古代文明を探求しよう! - http://web.joumon.jp.net/blog -

弥生時代の身分制度(1/2)-下戸は道で大人に出会ったら草むらに退く

こんばんは、くまなです。 😀
弥生時代の日本には、中国・朝鮮から渡来人とともに身分制度がやってきたようです。
魏志倭人伝 [1]によると、1700~1800年前の日本(倭国 [2])には、大人下戸生口という身分階級がありました。(※魏志倭人伝は、正式には『三国志 [3]』魏書・烏丸鮮卑東夷伝中・倭人の条)
53.jpg
図は、弥生ミュージアム [4]さんからお借りしました。⇒参考:社会組織・階層 [5]
魏志倭人伝は当時の中国(西晋)の官僚である陳寿 [6]が自らの見聞や使者・地元民からの伝聞をもとに編纂したものです。
(参考:魏志倭人伝とは? [7])
今回は魏志倭人伝にある大人下戸に関する記述と現代和訳を以下に紹介します。(参考サイト:魏志倭人伝の原文と対話型和訳 [8]
!その前に、 ポチッと応援よろしくお願いします
Blog Ranking [9] にほんブログ村 歴史ブログへ [10]


其曾同坐起父子男女無別人性嗜酒見大人所敬但搏手以當跪拜
●和訳:倭人の会合、席次には、父子、男女の区別がない。人は酒をたしなむ。大人に敬意をあらわすときは、手を打ってから、ひざまずきます。
其人壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不妬忌
●和訳:その人たちは皆長生きで百年、若しくは八、九十年生きたりする。この国の風俗は、大人(偉い人)はたいてい四、五人の妻があり、下戸(庶民)でも、二、三人は妻を持っている。婦人は、淫らでなく、嫉妬もしない。
下戸大人相逢道路逡巡入草傅辭説事或跪兩手據地爲之恭敬對應聲曰噫比如然諾
●和訳:身分の低い者(下戸)が、身分の高い人(大人)と道で出会うと、ためらいがちに草むらに入る。何かを話したり、説明したりする時は両手を地に付けてひれ伏せる。これを、尊敬の態度としている。返事をする時は「おお」という。それは同意したということのようだ。
●別訳「下層階級の者(下戸)が貴人(大人)に道路で出逢ったときは、後ずさりして(道路脇の)草に入る。言葉を伝えたり、物事を説明する時には、しゃがんだり、跪いたりして、両手を地に付けうやうやしさを表現する。貴人の返答の声は『アイ』という。(中国で承知したことを表す)然諾と同じようなものである。」(弥生の興亡 1、魏志倭人伝から見える日本 [11]より)
***
弥生時代の倭国では身分制度が成立しています。
大人下戸生口は、当時の中国の身分の呼称と同一であることから、渡来系弥生人が持ち込んだことは明らかです。
また、次の記述より、世襲制までは到達していなかったようです。

こうした身分はどのように決められたのでしょうか。その手がかりとなるのが、先述した弥生時代の王墓です。吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓をはじめ、豪華な副葬品や施設を備えた墓に埋葬されているのは成人で、子供が厚く葬られることはありません。
このことは、こうした特別の墓に葬られるような身分・地位にある人々がその能力を認められる「大人(おとな)」であることを必要としていたことを表しています。
このことから、弥生時代の首長や王などの身分はそのクニの成員によって、相応しいと思われる人物が立てられるものであり、特定の血筋の家族が代々その地位を踏襲するものではなかったと考えられます。
ただし、高い身分・地位につく人々は支配者層である大人層であり、そのなかでもその土地を開拓した一族の子孫など格の高い人々であったことが想像できます。

弥生ミュージアム [12]より
「大人」の上位層はどのように分かれていたのか。
魏志倭人伝に登場する官職としては、王、大官、副官、次官、一大率(諸国監視の司令官)、大倭(交易の監視)があります。※大倭は大人の倭人との解釈もあり。

[13] [14] [15]