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長江文明の担い手『苗族』が日本に渡来し、稲作文化を伝えた

苗族(ミャオ族)って知ってますか?
ウルルン滞在記でも時々紹介されているらしい。
今も中国の貴州省や雲南省に住む少数民族http://www.china.org.cn/ri-shaoshu/miao.htm [1]で、その祖先が長江文明の担い手だったと言われています。
彼らは長江流域で稲作を営み、太陽・鳥・蛇を信仰し、太陽族・鳥族・蛇族の三苗と呼ばれました。
その彼らが、4000年前頃の気候変動(寒冷化)に伴い、北方の牧畜民(漢民族の祖先)が南下し、牧畜民との戦いに敗れ?、あるいは移動せざるを得なくなり、長江文明も滅んだとされています。
そしてその際、苗族は長江奥地の雲南省などに移動したわけですが、一部は船に乗って九州へ渡り、稲作文化を伝えたとされています。
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図は、『ブナ林と古代史http://dp44012799.lolipop.jp/kodai/tiyokoubunmei/naezoku/naezoku.html [5]
より引用しました。
さて疑問なのが、南下してきた牧畜民は、長江の苗族をどのように駆逐したのかということ。
同じ『ブナ林と古代史』http://dp44012799.lolipop.jp/kodai/tiyokoubunmei/nihonjinruutu/nihonjinnruutu.html [6]には、以下のように書かれています。
>一方、苗族の伝説にも祖先が黄帝の子孫と戦ったという話がある。黄帝とは漢民族の伝説上の帝王である。苗族の祖先は黄帝の子孫と戦って、敗れ、首をはねられたという。
>長江文明の民が逃げ込んだ雲南省では龍を食べる鳥を守護神とする伝説がある。龍は畑作牧畜の漢民族のシンボルであり、鳥と龍との戦いとは、長江文明と漢民族の戦いを暗示していると考えられる。
>馬に乗り、青銅の武器を持って南下してきた畑作牧畜の民にとって、長江文明の民は敵ではなかった。彼らは精巧な玉器を作る高度な技術は持っていたが、金属性の武器は持っていなかったからである。
(by eto)

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