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ユダヤ人は弥生時代に日本に到達している!

こんばんわ!tanoです。 🙂
この話はかなり有名な話で聞いたことのある人も多いかと思いますが、私は最近知るようになりました。最近勉強させていただいているブログ「新しい日本の歴史」でもかなり力を入れてこの事が書かれています。
著者の説によるとユダヤ系民族は紀元前に朝鮮半島から日本に渡り、主に岡山県を活動拠点としていたようです。
神の付く地名が岡山県にたくさんあり、ユダヤ人は主にその地を渡って絹を運んでいたのではないかと考えられています。また有史では初代天皇とされている9代神武天皇はユダヤ人という説もあり、神武天皇の吉野が里征服、国家統一にユダヤ系渡来人が大きく寄与したとの事です。

以下ブログ [1]からの転載です。
岡山県小田郡笠岡町に神ノ島があり、その南隣が、神武天皇が八年駐留したと言われる高島です。この地域の式内社の分布は、美作11 備前26 備中16 備後 17 安芸3 というように、全部あわせても、73社です。他地域に比べて圧倒的に少なく、これだけしか式内社を獲得できなかったと言うことでは、漢人が入る余地がなかったことなり、天皇勢力の強かったことは確かです。
これらのことから、ユダヤ人は、早い頃から、天皇の側についていたようですし、神武天皇の東征のおりには、いろいろの面で援助したことが推察できます。また、神武天皇が、安芸に七年、吉備に八年駐留した理由も説明がつきます。
それでもユダヤ人が日本に来た、さらに天皇家の血に流れている、というのはまだ根拠が不足しているのでは・・・・
と疑う方は以下を読んでみてください。 8)
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以下ヘブライの館 [4]さんの記事からの抜粋です。
日本神道とユダヤはこれほど近似している 8)

(これでもほんの一部です)
写真編 [5]
・古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造は、驚くほど酷似している。
・日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりもライオンであるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。
・「伊勢神宮暦」は他の神社と違って「ヘブライ暦」と一致している。
・日本もユダヤも水や塩で身を清める「みそぎ」の習慣がある。ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗う。
・『大和民族はユダヤ人だった』の著者であるユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、 カタカナとヘブライ語の驚くほどの類似性を指摘していた。また、日本語の中にヘブライ語の単語が混在していることも指摘していた
・ エルサレム神殿の門には、天皇家の「16弁の菊花紋」と共通した紋章がしっかりと刻み込まれている。この紋章はイスラエル民族の紋章であった。ちなみに、現在、世界中を見渡して、菊家紋をシンボルにしている一族はユダヤ人と天皇家以外にはほとんどいない。
・日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている「秦氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと指摘されている。
・秦氏の本拠地にある「八坂神社」の祇園信仰にも古代ヘブライの信仰に非常に似た点がある。また、八坂神社や伊勢神宮の周辺などに「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにもダビデの紋章が出てくる。ちなみに、ユダヤのメズサ(護符)と日本のお守りは同一である
・伊勢神宮の「眥神社」の奥の院である「真名井神社」の石碑に刻み込まれたその裏家紋は、「ダビデ王の紋章(六竏星)」であった・・・。

しかしだから、日本人がユダヤ化したのか・・・・私はそうは思わない。
ユダヤの文化を取り入れたのは、縄文人の受け入れ体質故である。
ユダヤに限らず仏教や漢字等この時代あらゆる大陸文化を日本人は受け入れた。
そして、ひたすら大陸から逃げ延びてきたユダヤ人も日本人に同化することで馴染んでいったのだと思う。

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